モンセラットのマドンナ

tarosource2005-08-09

こりもせずに黒いマリアの話です。
昨年の12月にUPした、モンセラットの黒い聖母マリアのメダイが付いたブレスをつけたお客様が、先週末ご来店されて、とても大切にしているのを見て、嬉しかったです。どうもありがとうございます〜vv

そうして、昨年の12月を思い出す。
再び訪れた黒いマリアが訪れた頃、『黒いマリアの謎』という本を探している最中で、年が改まってから、古書が見つかって買ったのよね・・・シミジミ回想。
(けっこう黒い聖母マリア関連の本は絶版が多いのですよ・・・。)

あのときは、黒いマリア関連の書籍が手に入らず、いろいろなwebサイトを見て・・・あ、あと『カタルーニャの歴史』を読みましたよ・・・普通の『スペイン史』じゃあ、あんまりカタルーニャ地方の話は載せないのですよね。当たり前だけど。


そんなこんなで・・・モンセラットの黒いマリアは、スペインのバルセロナから列車で約1時間の距離にある、「モンセラット(のこぎり山)」と呼ばれている山に建てられた、聖ベネディクト修道院にいます。

最初、写真で黒いマリアを見たとき、あまりの普通さに驚いた。ル・ピュイのような怖さはなく、穏やかで上品な顔立ちで、こんなに違うものかと感心したのを良く覚えている。


カタルーニャはむかーしむかーし、イベリア半島(スペインとうい国がない頃)がイスラム教徒の支配下にあったときに、ピレネーの向こう側のフランク王国が、対イスラム教徒の拠点としてはじまった公国。
その後、レコンキスタイスラムイベリア半島から追い出し、カタルーニャは地中海の覇者と呼ばれるほどに繁栄したけれど、その後の大航海時代の波に乗れずに没落。スペインの一地方となった。というのが、ざっとしすぎるくらいのカタルーニャの流れ。


その中で黒いマリアというのが、イスラム教徒やナポレオン、フランコ将軍といった存在によって、幾度となく破壊の危機に襲われたが、カタルーニャ人たちが守り通したという、ありがたーい、「カタルーニャの魂」とも言うべきの存在、というのは12月のときにHP上でも紹介しました。


その後、『黒い聖母』(柳宗玄著 福武書店)を読んで、モンセラットのことが書いてあり、「聖母の顔はすばらしく整い、そして優しい」とあった。
それが自分と同じ感想だったので、「そっかー、やっぱり他のアクの強い顔立ちの黒いマリアに比べると、怖くないよね〜、このマリア様は・・・。」とナルホド、ナルホドというのが感想。


そんな風に黒いマリア関連の書籍やら、歴史やらを読んで調べて、自分なりになんとなく思ったこと。
もともと、イスラム教徒の支配下にあったイベリア半島の時代からはじまり。
イスラム教国はキリスト教国よりも先進国だったから、当然芸術・美術も洗練されていました。

カタルーニャキリスト教国といえども、そうしょっちゅうイスラム教国と戦争なんてできないだろうから、きっとイスラムの文化・芸術も入ってきたんだろうな〜と思ったり。

だから、モンセラットの黒いマリアは洗練された表情をしていて、イスラム教世界は、数学的にも発達していたから「黄金の玉」を持っているのかなー、とも。
(いや、玉が数学的になんの意味があるか知らないけどさ。でもわざわざ持たせているんだし、なんか意味があったのだろうな、っていうことで)


さらにいえば、カタルーニャって、ガチガチのキリスト教国ではなくって、民間の中には土着信仰が息づいていたのでしょうね。

それは、モンセラットの黒い聖母は洞窟の中から発見されたという言い伝えもある、とされているから。これってまさに、古代の大地母神をルーツにもつ存在だということですよね。

ちなみにこの黒い聖母には他の呼び方もあって、「モレナータ(黒い女)」という愛称もあるそうです。
「聖母」ではなくって、「黒い女」。
異教的ですv

いまは、このモレナータ様、ガラス張りの中に納められているそうで。
(幸福を授けるという黄金の玉の部分だけ触れるらしい)
ちょっとそこは残念なところですね。

でもスペイン・・・行ってみたいな〜。