Ⅱ 女教皇

tarosource2005-09-06

今年からタロットを習っているのだけど、タロットの女教皇に対して「毒殺好きそう」「自分の手は汚さずに敵を葬り去る女」「カトリーナメディチに似ている」と言って、周囲からなんとも表現のしがたい笑いを得てしまったことは、数ヶ月前の話だ。
(ちなみに私は、「Golden Tarot」というライダー版をベースにしたのを使っています)


ところが、Pedro氏の「黒い聖母」を見た瞬間、もう1人の「女教皇」を見出してしまった。

最初に見たのが、「黒い聖母・2」の座っている方だけだったから、余計に女教皇に見えたのかも。
それはまさに正位置の女教皇の姿で、「巫女」「受容」「知性」「清純」「深い面」・・・そんなキーワードが現われてくるような静かで穏やかな表情をしている。
手には球体。それは、星座、黄道十二宮、彗星、恒星、惑星を表す天の球体。
エジプトの女神イシス、あるいはハトホルのような、牛の角と日輪を思わせるような冠。
胸に手を当てている姿は、自分の中に宿る神の神託を受けているよう。

オブシディアンというのが、さらにポイントで、黒い女神たち、イシス、アルテミス、キュベレイ、カーリー・・・といった、愛情深く、ときに激しい女神たちの一員であることを表している。
ホント、オブシディアンって素敵だよね・・・(ウットリ)。この限界とか境界線を越える石は精神とか肉体とかそーゆー区別さえも混濁させてしまいそうな気がする。



さらにその後、もう一体の「黒い聖母・1」が登場したとき、思わず「うーーーん・・・」と唸った。

・・・女教皇が立っている。立ち上がっている。

タロットでは女教皇は座っているものだ。閉ざされた空間の中にいてこそ、彼女は巫女としての能力を発揮する・・・はずなのに。

「黒い聖母・1」はまるで自らの意思で立ち上がったかのように見えた。
それは姿かたちは、いまだ女教皇だけれど、タロットの3枚目のカード「女帝」へ移行しようとしている強さを感じる。
自由と、解放へと導く女神。
既成の概念からの一歩を踏み出そうとしているその姿が、なんともいえず神々しく感じた。
典型的な座っている女教皇も変わらぬ存在として素敵だが、
立ち上がって前へ進まんとする、その裸足の女教皇の姿も良い。
甲乙つけ難し、という感じだね。


・・・・・と思っていたのだ、が、
「えーーーーーっ!? これ『ブラック・バージン』なのーーーー!?」
HPを作るときに、私はショックを受けていた。
「そう、黒いマリア」と言ったのは@オーナー@で、その隣には頷くPedro氏。
そう、Pedro氏は自分のオリジナルに黒いマリアを造り上げたのだった。
「だって、だって、女教皇に見えるのにーーーー!!」
それなのに、タイトルが黒いマリアだなんて、納得できなーーーいっ!!
・・・と、思ったけれど仕方がない。
HPには「黒い聖母」ということでUPしました。

でもやっぱり女教皇に見えるんだけどなぁ・・・。