ル・ピュイの黒マリア様

tarosource2005-08-01

ル・ピュイの黒い聖母マリアは、怖い。(前日の写真を参照)
炯炯と見開かれた双眸。聖母の衣装からぬぅっと首を出しているイエスも、可愛いとはとても思えないし。真っ黒な御神体は、「黒」というよりは、まさに「玄」。
なんかしょっぱなから、怖かった。
逆に言えば、その後のモンセラートやシャルトルの聖母たちは、可愛く見えたくらいだ。

このル・ピュイの黒い聖母マリアに限って言えば、どうやらエジプトのイシス女神を起源とする説が有力のようです。(現在のは2代目と言われています)

『黒いマリアの謎』(田中仁彦著 岩波書店)によると、
「革命の時に革命派が「このエジプト女め!」といって焼き壊したと伝えられている』、
『聖母を黒くしたその作りや、象嵌された双眸のガラスの製法は、古代エジプトの神像の作りに共通している』とし、
さらに『十字軍が東方から聖母と思って、パリの教会に祀っていた神像がじつはイシスだったと知って、数百年後に教会関係者は慌てた』といったこともあったようなので、
ル・ピュイの聖母も十字軍が持ち運んできたのだろう・・・とのこと。
(*ただいま、@オーナー@に本を貸し出し中で、一文一句の正確な引用ができていません。ごめんなさい)

・・・確かに、美術館の「エジプト展」とかで見る神像に似ているかも。
さらに調べていくと、13世紀に聖王ルイが十字軍とともに持ち帰ってきたのだとか。

サンチャゴ・デ・コンポステーラへの出発点としてのル・ピュイは11世紀から始まっているはずだから、当時の人々がこの異形の聖母を見たとき、どう思ったんだろう〜? 怖い顔ね〜、って思わなかったのかな(笑)。

そういえば、このル・ピュイには「赤いマリア」もいる。(↑上の写真)
岩山の上にそびえる大きなマリア様がそうなんだけれど、あるとき、マリア様が現れて、ここに教会を建ててください、とお告げをしたのだそうだ。
その場所が、実はケルト民族の神官たち、ドルイドの聖地だったのだとか。

ローマに支配され、キリスト教に支配され、フランク王国に支配されたル・ピュイの町は決して、豊かな土地ではなく、むしろ火山性の貧しい土地だ。大変だったろうな〜、と思う。

そんな地元の民たちの間の奥深くで語り継がれてきた土着のドルイド教と、サンチャゴ・デ・コンポステーラの出発地として栄えるキリスト教の一面と、十字軍が持ってきた黒いマリアが出会って。

どんな風に、ひとつの町の中に複数の信仰が混ざっていったのかな〜、と想像を巡らせる。
情報の流通なんて、いくら巡礼地といえど、そう活発ではないだろうし、人々も巡礼くらいしかそうそう移動しない時代だろうから、きっと「不思議なマリア様がやってきた〜。怖い顔をしているけれど、霊験あらたからしいぞ〜」とかいって、「黒マリア・ブーム」が町から、外の町へ伝わり、より多くの人々が、ル・ピュイを訪れるようになったのだろうな〜。

そう考えると、ル・ピュイの「黒い聖母マリア」って、貧しい土地に富をもたらした、まさに女神様だったのでしょうね。
怖いなんていっちゃぁ、失礼かな。(笑)