黒いマリア 〜ル・ピュイから約1年〜

tarosource2005-07-31

今回、HPをご覧になった方にはおわかりの通り、@オーナー@は6月のサン・マリー・ショーに行ったときに、シャルトルまで足を伸ばして、シャルトル大聖堂と黒い聖母マリア(本物は革命で焼けてしまったので、現在はレプリカだけど)を拝んできていた。

「黒い聖母マリア」というものを知ったのは、去年の7月。
そう、やっぱり@オーナー@が、ル・ピュイまで足を運んで、黒マリアのメダイ(お守り)を買ってきてくれた(*スタッフにはお土産でもらったのでした・・・)ときに始まる。

そのときは、「ル・ピュイとはどこ?」「黒マリアってなに?」という状態で、そのときはわかる範囲で調べていたのだけど、あんまりよくわかっていなかった。(まあ、いまでも完璧には程遠いけれど)

とりあえず、「ル・ピュイ」という場所は、フランスのヴレ地方にある地名で、スペインにある聖地サンンチャゴ・デ・コンポステーラの出発点ということで、とりあえずはよしとして・・・問題は黒いマリア。


黒い聖母マリア・・・とは?
1.フランス南部を中心に(一部、ノルマンディーやスペインにもあり)点在する、黒く作られた聖母像である。

2.なぜ黒いのかは謎である。煤で黒くなったとか、表面を銀で塗って酸化したからともいわれているが、煤で黒くなったというよりは、最初から黒く作っていたという話が有力。

3.顔が怖い(苦笑)。イエスを正面に、ひざの上に乗せている姿が多いらしい。


・・・・ここまではいいのですよ。ここまでは。
じゃあ、何でフランス南部を中心に黒い聖母マリアがいるのか?ということで調べて、昨年、私は頭を抱えましたよ。

黒い聖母マリアの起源、その正体とは?

1.東方起源説。古代の黒い女神たち。アルテミスやキュベレイ、イシスなどが伝わって、「聖母」という形になったもの。

2.地元の女神説。ローマ帝国時代の「ガリア」と呼ばれていた地域に、黒いマリアがいることから、ケルト民族たちの信仰する、大地母神ダァザの姿が「聖母」となったもの。

3.マグダラのマリア説。「新約聖書」で「罪を犯した女」(娼婦)として書かれていた、マグダラのマリアイエス・キリストの妻であり、イエスの死後、使途ペテロたちに追われて、フランスへたどり着き、イエスの真の教えを広めたという。


・・・・いまでこそ、↑上記のように分類して、書けるようになったけれど、去年ははっきり言ってわけわからん状態。
「黒いマリアが、キュベレイで、イシスで、アルテミスで、ダァザ?ぜんぜん、ばらばらの女神じゃないか!! マグダラのマリアってなんでそこにそんなもんが!?」・・・という感じ。

さらに。
ドルイドの聖地に教会?」「黒いマリアは泉のほとりや、木の洞で発見された」「ル・ピュイにマグダラのマリアの墓がある?」とか。
ちょうど、メガヒット小説「ダ・ヴィンチ・コード」も混ざってきて、「マグダラのマリアは、メロヴィング王朝の始祖?」とか、もー、メチャクチャ・・・でしたね。


この手の、神話と、民間伝承と、信仰と、歴史がごちゃごちゃに混ざっているやつって、結構、整理が大変だったりする。
資料も、うまく選んでいかないと、変なものに当たってしまって、「はぁぁ?」になったり。

とにもかくにも。
ル・ピュイの黒い聖母マリアに出会ってから、1年。
私は、「黒いマリアとはなんぞや?」と、金と暇のある合間に(笑)文献探しをして、本を読みましたよ・・・
本当は外国の文献を読めればいいのだけれど、私、英語はぜんぜんわからないし(・・・@オーナー@、ごめんなさい)。とりあえず、邦訳されている本を読むとして。

そんなこんなで、私なりの「黒いマリア」探求が始まったのでした・・・・