マダガスカル産アクアマリン

tarosource2007-06-04


さて、先日UPしたマダガスカル産のアクアマリンの話である。

実をいうとここのところ(といっても昨年からだからけっこう長いことなのだけれど)、ベリルが最近とても気になっている。あ、あとトルマリンも気になっているかなぁ?ようはあんな感じの柱状結晶の石が最近のひそかなマイ・ブームなのかも。でもトルマリンの話は置いといて。

そんなわけで、昨年はロシア産のエメラルドを購入。実をいうといまUPされているロシア産エメラルドも気になってる。今後はもっと(宝飾の展示会などで)色の濃いエメラルドのルースが欲しいな。

アクアマリンはカットの良いのが欲しいかな〜。色も濃い目で・・・高くても良いので「美しい」のが欲しい。(注:あくまでもルースの話です)

さて、今回登場したのは、最初にも書いたとおりマダガスカル産アクアマリン。

私の個人的なルースに対する審美眼からするとカットがまずカボションで甘い・・・のだけれど、なんか気になる、のだ。

なんか、スゥゥッと光線がこの石から発信されて行く感じ? こんな言葉があるかどうかは不明だが「アクセス ライン」という言葉が浮かぶんだよね。

最初、この石を薄暗い室内で見ていたから気付かなかったけれど、光に当てると、白いシラーが浮かぶのがあるということに気がついて、ますます「アクセス ライン」という言葉が脳裏に結びついた。

さらにいうと、なんか額のところにでもペチっと埋め込みたい気分だ。

そしてふと思う。いったいこのアクアからの光のラインはどこへアクセスするというのだろう?


・・・・夢、とか希望、なのかな?

以前も書いたけれど、私にとって、ベリルは「夢」や「希望」を表す。それは、トパーズのように「平凡で、だからこそひとつひとつ積み重ねて行きたいささやかな幸福や夢」ではない。コランダムのような「完全さ、理想への追求」でもない。

ベリルは「見果てぬ夢」的な部分がある。
遠い遠い夢。言ってしまえば「ハハハ」と笑ってしまいそうな夢。でも「そうなったら良いな」「そうなりたいね」と思うことで、自分の未来に対する行動の方向性がある程度定まっていくようなそんな夢だ。

そして、アクアマリンは過去の浄化・洗い流す的な意味も含んでくる。

時間(とき)を超えて、宇宙(そら)を超えて。過去から脱却して進む光の道筋をこのマダガスカル産アクアマリンがパス(通行手形)となっているようになんとなく思った。


そういえば、と先日@オーナー@とも話していたのだが、ひょっとして@オーナー@と出会って今年は10年?なのかもしれない。
あのころは〜、生き急いでいたなぁ・・・って思う。30歳までに自分の方向性を見つけられないのであれば死のうとまで思っていたり(苦笑。青いな、私も)。ちょうど父が家を出てしまって「家族」という根幹が揺らいでしまっていたらね。でも、揺らがなかったら@オーナー@とは出会わなかっただろうなぁ・・・。

10年一昔って言うけれど、まさにこの10年というスパンは私が私のあるべき姿を模索したひとつの時代、ひとつのサイクルだったと思う。

もちろん、模索していくという行為はこれからの10年も、またその次の10年も命がある限り続いていくことになるのだけれど。

次の10年も「こんなことを夢を見、模索し、進んでいって今がある」と言えるように。ベリルの光と共に。