もうひとつの扉

私はタロット・カードがけっこう好きである。
子供の頃から書店で買ったタロットカードで遊んでいたりしていたのだけれど、再び日常的に触るようになったのはここ最近の話だ。
ちなみに。他人にはカードを使う事はない。
理由は簡単。私はタロットカードの占い師ではないし、占い師になるつもりもない。
今日がどんな1日か?とカードをひいて、「今日はこーゆー日」と確認するくらいで十分だと思っている。だから、私に「タロットカードしてください」とは言わないでね(笑)。

今回、若夏さんが「Academia Picante」で「Parallel Crossing Gate」を行うけれど、そんな私が日々行っているコンセプトととても似ているよね、と思う。
別に占い師養成講座ではないけれど、日常を生きやすく・・・というのは確かにそうだ、と強く思うのだ。

私の場合は、ライダー版をベースとしたタロットカード(72枚)を毎日1枚、仕事に行く前にひく。そうして毎日毎日積み重ねていくと、面白いことに、「このカードが出てきたときの、仕事はこーゆー感じ」という風に決まってくる。
例えば、「愚者」のカードが出てきたときは、HPの企画を1からやり直し。
「魔術師」のカードが出てきたときは「企画」はいいけれど、やっぱり1からやり直し。
「皇帝」のカードのときはとっても忙しくて充実していて、「太陽」のカードが出ているときは「天使様が入っている石ありますか〜?」という風に私にとって理解不能なスピリチュアルなお客様がいらっしゃる日となる(苦笑)。
あと、「悪魔」のカードが出るときは「ダイエット中なのに、お菓子が食べたい〜」という欲望の葛藤の渦の中にいるとか。(おいおい)

そういう感じだと、「今日の心構え」というのができて、「そっかー、今日はこーゆー日なんだ。無理するのはやめよう」とか「今日は張り切ってがんばろー!」と思うわけだ。これって、とても毎日が過ごしやすいし、何にフォーカスすればいいのかがわかるから楽しい。

ところで、今回の若夏さんの「Parallel Crossing Gate」を知って面白いと思ったのは、2種類のカードを使うということだ。
カードが好きな方ならわかるだろうけれど、同じタロットカードでも、ものによっては大きく内容が違くなってくる。
最初は、どこでも手にはいるライダー版のタロットにしようとしていたけれど、後に若夏さんからマルセイユ版をベースとしたスカピニのタロットに変更となった。

スカピニのタロットは、絵の具で塗ったような独特の色彩が特徴。私自身は使ったことが無いけれど、見ていると「果てしない物語」を読んでいるような気分になってくる。ミヒャエル・エンデ作の「果てしない物語」って、ファンタージェンというおとぎの国と、バスティアン少年が呼んでいる現実世界が交差していて、さらに読者である私達が現実世界にいて・・・・という2重、3重の物語構成をしている。まさにパラレルワールドなのだけれど、スカピニの大アルカナもまた読みやすいのだけれど、独特の物語が秘められられているよね、と思う。

そう考えると、私自身はライダー版が嫌いじゃないし(むしろ好きだ)、読みやすいと思っているけれど、あの一般的なライダー版を使ってしまうと、すごく画一的というか、もっと人間社会って良くも悪くも肉厚なんだよ、という部分が薄まりそうだよね、と思うのだ。

多分、このスカピニのタロットを使うだけで、パラレルな気分を味わえるはず。
ただ、意味を追うのは本を読めばいい話だから簡単だけれど、現実世界の自分の側に、タロットという名前の、やはり現実世界の扉があるということは、きっととても心強いツールとなるはず。
この「Parallel Crossing Gate」では大アルカナしか使わないけれど、私もいまでこそ、72枚を使うようになったけれど、最初は長い時間をかけて大アルカナを使っていたし。

「占い」のツールとして使うのではなくて、日常をもっと楽に生きていくために使ってほしいのがタロットだと思っている。