日本神話を読んで思ったこと(長文読解)

ちょっと前のロズ子さんのBlogを拝見していたら『古事記』という言葉があったので、ミーハーな私もまた、ふと久々に読も〜、と読んでみた。

古事記はなんど読んでも読み飽きない本で、視点を変えると、「ああ、これはこーゆーことだったのか」という新しい物や神々、そして人間の動きが見えてくる。
学生時代はありきたりなテーマを勉強していたけれど、今はもっと自由な気持ちで読んでいるので、けっこう楽しい。

つい先日、ちょうどHPで「マスタークリスタル特集」をしていたから、古事記に登場する神々にとっての「石」とか「岩」とか「玉」とか・・・そーゆーのってなんだろう?と思い、読んでいた。

」で有名なのは、アマテラスが隠れたという「天の岩戸」と、イザナギイザナミが決別した「千引きの石(岩)」かな。一方はアマテラスを、もう一方はイザナミを封印する岩だ。
さらに、天の岩戸はアマテラスが引きこもっただけだけれど、千引きの石は違う。千引きの岩を挟んで、この世のイザナギと黄泉の国のイザナミが立ち、呪いあうのだよね。
イザナミが「1日1000人の人間を殺してやる」と言い、イザナギが「それならば、この世には1日1500人の赤子が誕生するだろう」と言うのだけれど、その結果どうなったのか?もちろんこの呪いは「言霊」であり、その言霊だけでももちろん呪力があるのだけれど、間に立った千引きの石もまた、その呪いを受けて「黄泉戸大神(ヨミドノオオカミ)」という神様になっちゃったわけだ。
別にイザナギイザナミも千引き石に呪いをかけたわけではない。石はたんに黄泉のイザナミが現世に来ないようにさせているだけなのに・・・、そこで2人が呪いあったから呪力を吸って、神様になってしまったわけなんだよね。
・・・これって、ひょっとして夫婦喧嘩のとばっちりを受けただけなのだろうか?哀れなり、千引きの石。(そうなのか?)


天の岩戸ももちろん後に神様になるのだけれど、それは天孫降臨のメンバーその1という感じでインパクトがあまりない。
それよりも天の岩戸に登場する思金神(オモイカネノカミ)のほうが重要。
この神様はアマテラスがどうしたら岩戸から出てくるかを考え、天孫降臨のときにもアマテラスの参謀役として登場する、頭の良い神様だ。特に精霊とか動物の神様、ではなく思慮遠謀の神様で、日本書紀には「金」を「兼」と書いてあるから、別に鉱物の神様ではもちろんない。でもやっぱり全く意味のない関係ない漢字を当てるとも思えないから、鉱物の神様ではないけれど、陰陽五行の『金』の性を持っているんだろうな、とは思う。
よくアクアマリンは『水』で、カーネリアンは『火』の石で・・・ってあるけれど、「鉱物」というカテゴラズの中では『金』に属するものだから、そう考えると、『金』の性を持つ思金神の力の一端が鉱物にもあるのだろうな、とはなんとなく思ったりする。
だから高次のナゾナゾ君の情報が石に〜、というのはやっぱり(今更だけれど)昔から日本人の心の中に入っているのかもしれないなぁ・・・と、「思金神」を見て思った。

思金神は「金」性の神様かも?というのは単なる私の推測だけれど、陰陽五行が生きている古事記の世界だからたぶん、そう外れてはいないと思う(他にも根拠はあるけれど、それを言い出すと長いので却下)。

さてさて、「」そのものの神様、で有名なのがやっぱり「イワナガ姫」でしょう。イワナガ姫は国津神の大山津神の娘で、天孫降臨してきたアマテラスの孫であるニニギ命に妹の木の花サクヤ姫と一緒に嫁入りしたのだけれど、大変な醜女だったために、ニニギに嫌われて出戻りさせられた・・・という可哀相な姫神

このイワナガ姫、大変な呪力の持ち主である。記紀を読むと「サクヤ姫は天皇家の繁栄と、イワナガ姫は永遠の命を表しているのに、イワナガ姫を受け取らなかったので、命は限りあるものとなってしまったとさ」というのは共通項なのだけれど、富士山に天皇家を呪いながら身を投げた、という記述の書物もある。
天皇家もよくよく呪われた一族で、古事記を読んでいてもイワナガ姫、出雲の大国主、三輪の大神と・・・まあ、いいや。私には関係ないし。(オイオイ)

石=永久不変の命、と表すのはあながち間違ってはいないのだろう(・・・もろい石もあるけど)。一方で醜女=石、というのは「ちょっと失礼ね!石は綺麗よ!」と言いたいところだが、実は「醜い」というのには大きな意味がある。
日本に限らず、神話や伝説の中で「恐ろしいほど醜い存在」というのは「巨大な呪力を持ち、強い」という意味がある。
安達が原の鬼婆」や「足柄山の金太郎」を育てた山姥は、醜さによって人間を上回る力を持っていることを表している。「源氏物語」で醜女の代表「末摘花」は彼女がいるからこそ、光源氏は繁栄を約束される。

だから石=醜い、としたのは、「石には呪力がある。それも強い力」ということを、やはり古代の人々が感じていたんだろうなぁ、ということだ。

なんかコムズカシイことをベラベラ書いてしまったけれど、「記紀を読もう週間」をした結果、改めて「石の不思議」というものを読み取ったということでした。
長々とわけわからんこと書いてごめんなさい。(汗)