海を想う石・2

tarosource2005-06-07

前日の「海を想う石・1」にちょこっと書いたけれど、リゾート・ダイビングへは昨年の1月に与那国島へ行ったきり、しばらくご無沙汰である。

与那国島ってどこ?という方のために簡単に言うと、日本の最西端の島で、台湾国境が近い。太陽が台湾に沈むっていうのだから、まあそれくらいの近距離。ちなみに飛行機の直通便はなく、石垣島or那覇経由なのだけど、週に数日しか飛行機が飛んでいないというところ。最近ではドラマ「Dr.コトー診療所」の撮影現場にもなったといえばわかりやすいかも。
私の感想をいえば、『風の島』かな?いままで沖縄のいくつかの離島を回ったけれど、一番風が渦を巻くように吹いている島だなー、と思っていた。

さて、そんな『風の島・与那国島』の海を思わせるのが、このブルーのスマトラ・ガラスだ。
いまさら、天然ガラスと人工ガラスがどうとかこうとかは・・・言い始めるとキリないのでやめておく。ようは人工を天然として故意に売ったりするのはよくない。その上で「私がいいと思うから買う」のはありだと私は思っている。

実際、個人的にいうとガラスはとても好きだ。琉球ガラスやベネチアンのミルフィオリとかがとっても好きで、わくわくしてしまう。
その他のガラスを見ているのも結構好きで、もともと石が好きになったきっかけって、ラムネのビー球だったり、海で拾う丸くなったガラスだったり・・・。たぶんガラスが石好きの原点・ルーツといっても過言ではない、という人は私だけではないと思う。

その中でも、このスマトラ・ガラスは原点の原点という感じ。
Pedro Michel氏の工房で研磨されたこの丸玉は真円ではない。だから余計に手のひらにぴとっと、した感じが優しい。まあ、そんなことよりも、この「青色」が一番惹かれるかも。

本当に深い深いブルー。
与那国で見た海の中にそっくり。
潮の流れが速い外海の与那国島の海は、グランブルーの闇。
気をつけていないと、潮の流れに翻弄されてしまう。
引きずり込まれそうな海底に視線を向けると、何十匹というハンマーヘッド・シャークと呼ばれるサメたちの大群。
さんご礁の極彩色の可愛らしい魚たちが住む海とはまったく違う、自然の脅威が差し迫る中に漂う人間。

圧倒的な青い闇の中、白い小さな小さな生き物たちが淡雪のように人間たちと一緒に漂っているのに気がついた。

それは爪の先にも満たない小さな小さなプランクトンたち(たぶん、カニとか海老とかサンゴなどの幼生たち)。丸がいくつも連なっていたり、たくさんの脚をピロピロ動かして動く微生物が海底から湧き上がるように漂っているのだと気がついたとき、人間にとっては危険と隣り合わせの海が、小さな微生物から大きなサメまで、すべてを育む母なる海なんだなと強く感じた(本当は感動している場合ではなかったのだけど)。

そう思ったとき、ちょっと怖かった与那国の海が怖くなくなった。正確に言うと恐怖が畏怖に変わった。生も死もすべてを受け入れる。すべての生き物がこの海から生まれてきたことを実感をもって思い出させてくれた素晴らしい体験だった。

すべての命はどこから生まれて死んでいくのだろう?
すべての想いはどこから生まれて消えていくのだろう?

普段だったらそんなこと考えもつかないのに、このブルーのスマトラガラスを見たとき、与那国の体験を思い出し、そんな想いが過ぎった。
このガラス自体が生成されたいきさつは知らない。Pedro Michel氏自身も知らないだろう。でも、なにかの物質を溶かし、変容して作り上げた一種の錬金術のようなガラスだからこそ、混沌を表し、すべてのあるがままの原点を見せているように感じた。

こんなトシまでガラスに惹きつけられるなんて・・・やっぱりガラスも侮れないかも。