ちょっと前の話・・・旧暦の新年のとき

キャットシッターを終え、自宅に帰ってきました〜!(^o^)
まだ@オーナー@は帰国していませんが、後半は別の方にバトンタッチです。あああ〜〜、自宅はいいねぇ・・・(しみじみ)。

そんな@オーナー@の家でグレムリンズと一緒に過ごしていた間、旧暦で新年を迎えました。そのときの話。
1月28日は旧暦の大晦日だった。なんとなく、身体がザワザワというか、頭の中が妙に別のヴィジョンから何かを視ているような、表現しがたい感覚があった。そんな不思議な中で、仕事をして、フツーに(グレムリンズの)家に帰ってご飯食べて、寝たんだけれど。
ポンっ、と午前3時半くらいに目が覚めた。トイレに行きたいなぁ〜、とか、グレムリンズが騒いでいるなぁ〜、とかじゃなくて『覚醒』した、という感じ。

そのとき、なにかが、ポロリと落ちた。
その何かは、言うなれば「自分のしがらみ」というもの・・・なのかな?


例えば、の話だけれど、冷蔵庫にニンジン、ジャガイモ、タマネギ、豚肉が、1か月分ある、とする。それを毎日毎食消費していかなくてはならない(例えばの話ですからね!!)。
私は、毎日カレーを作らなければいけないのかぁ・・・と思っている。確かにカレーは好きだよ、好きだし、2日くらいなら朝昼晩カレーでもOKだけどさ、でも1ヶ月はねぇ・・・と思うだけでうんざりしている。でも、毎食カレーはイヤだけれど、仕方がない。それが現実というものだ。
ところが。
「ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、豚肉を毎日毎食消費していかなくてはならない」イコール「カレーを毎日毎食作らなくてはならない」ではないということに気がついたのだ。
まあ、例えが例えなので「そりゃそうだろう」とも思う人は多いだろうけれど、自分が中心にいて思考の渦に入ってしまうと、そこからなかなか抜け出せない。
そもそも、なぜ「カレーをつくらねば」と思ったかというと、「カレーが好きだから」。私もカレーが好きだし、皆もカレーが好きだから。カレーを皆で食べて喜んで欲しいから。でも、本当はカレーを作ることさえうんざりしていた自分がいたりして。
ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、豚肉があれば、シチューはもちろん作れるし、肉じゃがだって作れる。肉は肉で焼いて、他の野菜はポテトサラダにしたって良い、そうそう豚肉は焼いて、ジャガイモとタマネギでお味噌汁作って、ニンジンはグラッセのように煮ても良い。おお、そんなことしたらおかずが3品じゃん、すごいぞ、私。ということに気がついた。

気がついたら、とても楽になった。
「ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、豚肉を毎日毎食消費していかなくてはならない」という現実は現実として存在する。そもそもなぜ1か月分冷蔵庫に入れる羽目になったのかという過去もある。冷蔵庫という器も変えられない。それは仕方がない。
でも、視点がぐるりと変わり、ポジショニングが変わったとき、未来はもっともっと楽しそうに思え、自分を無理に押さえ込んで言い聞かせながら生きる必要はなく、「この食材で肉じゃがつくろうよ」と積極的に働きかければもっと広い未来があるということに気がついた。

それが旧暦の新年の話。
昨年末に若夏さんと出会ってシャーマニック・ホロスコープリーディングをしてもらったときに、「2006年の1月1日にアファーメーションをして、海王星へのアンテナを取り替えてください」と言われた。そして新暦の元旦に言われた通りのことをして。
先日@hida@ちゃんと「サポートストーンを探そう」をやって、改めてその海王星へのアンテナの存在・必要性を確認した上で、現実的肉体的にどうして行くかを考えさせられて。
そして、旧暦の大晦日〜元旦にかけて、ぐるりと何かが変わった。
もちろん、これからだって「ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、豚肉」の存在にうんざりすることもあれば、「キーっ!こんなもん、捨ててやる〜!!」と激怒することもあるとは思うが、なんかこの「無意識を確認する」ということが「ああ、なるほど、こーゆーことね」というのがわかっただけでも、収穫はあったな、って思った。

これから立春に入るし、私の誕生日もあるし(笑)、3月に入れば春分もある。
いまは無意識や夢や希望を育む季節。こーゆーときこそ、無意識に働きかけるワークの時期なのかも。いまいちど、なんかワークをしてもらって確認してもいいなぁ・・・って思っている。