カルマ落としの時期・・・らしい

笑われてしまった。

「いや〜、『天使が〜』『エネルギーが〜』といってぽやぽやぽやーーーんとしているだけがスピリチュアルじゃないから」と笑いながらいったのは、目の前に座った占星術師さんだ。


月曜日、ちょいと予定より遅く、占星術師さんに星周りを観てもらっていた。
その中で、ふと彼女は私に質問してきた。「霊感あります?」
もちろん速攻「ありません」という返事。
「直感は鋭い方?」再び聞かれる。
うーーん?どうだろう?考えたことないことだ。だって、例えばあなたはどうやって手を動かしていますか?って聞かれても困るし。はて?という表情をしているから、質問の方向性をちょっと変えて再度。
「いままで、頭で考えて行動するのではなくて、実際に行動することはある?」
それはよくあるかも。基本的にせっかちだからね。
「先に行動して、失敗して後悔したことは?」
「失敗したことはあるけれど、後悔はしてないかな」と返事をすると、彼女はうんうんと頷き、「スピリチュアルは?」という質問になり、私はスピリチュアル大大大嫌いの文句たれを炸裂することになる。

で、笑われた、と。

「人間はもともとスピリットな生き物なんですよ」と彼女はいう。
それはわかる。日常生活をしていたって、より楽しくいきたい、幸せに生きたい、健康に生きたいと願う人間は、他の動物にはない思考回路だもんね。でも、スピリットだけぽやぽやぽやーーんといってしまうのは、どうかと思っているわけなのだ。

それからもいろいろお話をしていて、占星術師さんはたびたび私に「心に曇りガラスがある」という。それは「他人が私に対する評価と、自分自身の評価に隔たりが大きくある」ということらしい。それが私の無意識結果なのでなんなのか、どうしてなのかがわかっていないのだと。

うーーん、どうだろう?周囲の評価と自己評価って違うもんじゃないか?とも思っている。昔、別の会社で働いていたときに「おまえなんかいたっていなくたって変わんないんだよ。たいした人間じゃない」といわれたことがあって、悔しい思いをしたことがあったけれど「ああ、そんなもんだよな」とも思ったことは事実。
「頑張ろう」「結果を残そう」と一生懸命働いたけれど、だからといって「いなくなったって、変わんないんだよなー」というのもあり。私に上のことを言った人は、決してイジワルとかヒドイことを言ったわけではなくて、正直なことを言ってくれたなぁ、と思ってはいる(まあ、そのときの状況が状況だったから・・・)。

でも・・・そうだな、周囲の評価と自己評価が一緒になればそれは良いことだと思う。でもその「曇りガラス」がなくなることってあるのかな?

2004年の1月くらいから少しずつ、クリアーにはなっているようで、来年にはだいぶ取れそうです
2004年の1月といえば、仕事面でいえば店のHPを私が作って私がUPするようになったんだよね。いままで店はプロの方に作ってもらっていたのを、まったくHPなんて作ったことがない、ド素人が作って管理するようになった。(@オーナー@や@hida@ちゃんがHP製作をしなかったのは、単純に長時間PCの前に座っていられるか、座れないかの差だと思っている(苦笑))

プライベートでいえば、いまの交際相手と2人でデートするようになったのが1月。もともとダイビング仲間としては仲良かったけれど、新年会で酔っ払った彼が醤油をこぼして、私の服とバッグを醤油漬けにしてくれたというハプニングがきっかけだった(笑)。

おお、そう考えると、2004年の1月っていろいろあったな。

「@oku@さんは、『視えない存在』を表す海王星の位置からして、もうちょっと霊感というか直感が強いと思うので、まずはその『曇りガラス』をクリアーにすることですね〜」
でもーー、スピリチュアルな@oku@って、なんかイヤだな〜。どうしても、「スピリチュアル」という言葉には眉間に皺が寄ってしまう。

「あと〜、いまはカルマ落としの時期なんですよね」
カ、カルマ落とし〜!?
私にカルマなんてあるのか!?
・・・というと、そりゃあ、あるだろう、と言われると思うけれど、本当に「カルマ!? はあっ?そんもんがあるのか!?」と思ったのが正直なところ。
@oku@さんのカルマは『トラウマを見る』ですね。・・・子供の頃の怒りとか、悲しみってありますか?」

怒りとか、悲しみねぇ・・・私、かなり大切に愛されて育てられてきたしな。勉強は特にできなかったし、芸事も飽きっぽいからダメだし、不器用で運動神経も悪いけれど、ちゃんと短大まで学費出してくれたし、子供の頃はお稽古事もさせてもらったし。いろいろな面で両親、そして妹には感謝と愛がある。

はてさて?・・・と思っていたけれど、ものすごーーーく嫌なことを思い出した。
幼稚園の頃から小学校5年生までストーカーに付きまとわれていたことだ。
とはいえ、そんな頻繁に付きまとわれていたわけではない。ただ、年に数回とはいえ、同一人物に長期間付きまとわれていて、彼に会ったとき、私に多大な恐怖が押し寄せたのは事実だ。
年に数回しか会わなかったというのは、ストーカー(・・・という呼び方も20余年前はなかったけれど)行為をしていた彼自身も子供だったこと。・・・たぶん、私よりは10歳ちょっと上だと思うけれど。でも子供の頃の10歳年上って、大人ですよね?それに中高生が兄弟姉妹でも親戚でもない、他人の幼児に愛情って・・普通、持たないし、そもそも仲良くならない。あと、ちょっと遠いところに住んでいたこと。
他にも彼はある障害を持っていた人だったこと。20余年前は現在よりも情報量が少なかったこと。様々な理由から、私の両親や彼の両親が見張り、私は周囲に守られてきたと思うが、それでも偶然、彼に会ったとき、彼が親の目を盗んで訪れてきたときの私の恐怖はすごかった。彼の妄想する愛がなぜ私に向けられるのか?現実とかけ離れた愛情が恐ろしく、かつ気持ち悪かった。
結果として、様々な理由も重なって、私が小学校6年生に上がる前に、私たち家族は引越したので彼に会うことはなくなった。

「・・・きっとそれが『スピリチュアル嫌い』と密接に関係しているんですね」
(もっと詳しく)お話をしていて、ハッ、と気が付く。そうなのかな?
「その彼の現実を見ない妄想。妄想の中で進行している愛情。その嫌悪感って『スピリチュアル嫌い』に繋がっていますね〜」

・・・・・・・・そっかぁ。
そのとき、ものすごーーく、心の中が晴れたような気持ちがした。

初めて彼に会ったときのことは覚えていない。でも幼稚園生の私がタンポポの花を彼に健常者や障害者という枠を考えることなく無邪気に手渡していたことは覚えている。でもそれが障害ゆえに、いままで差別を受けていた彼に”差別されない”喜びを与え、ちょうど思春期を迎えた彼を妄想させるきっかけになってしまったと思っている。

私は障害者がどうこうというつもりはない。なぜならば、私の従妹もまた彼と同じ障害を持っているからだ。だから彼の差別される悲しみも、拒絶される痛みも従妹や叔父叔母夫婦を見て知っていた。だからこそ「お願いだから、現実を見て!嫌がっているのをわかってよ!!」という私の怒りと悲しみと嫌悪感と混乱が・・・ぐちゃぐちゃになって、心の奥底に澱んでいる。

でも、その心の奥の澱みにいま、日が当たった。
そっかー、そーだったのかー。嫌いは嫌いだけど、なんかなんでこーまで嫌悪感が深いのかわからなかったから、ちょっとそれもどーかなーと思っていたけれど、なんかクリアーになってスッキリしたぞ。

占星術師さんは「その子供の頃に受けた衝撃で、直感力に繋がる海王星のアンテナを使ってしまうと『嫌なことが起こる』になると思っていて、錆びつかせてしまったんですね」と言った。そして、

「もう一度、新しい海王星へのアンテナを立て直しましょう
パラパラと分厚い本を見た後、私の場合は新年に海王星アンテナを立て直すアファメーションをするようにというアドバイスをいただいた。

「そうすることによって、直観力もさらに冴えるでしょうし、曇りガラスもクリアーになっていきますよ」
そうして2006年以降もさらに楽しく幸せに生きていければ、素敵なことだね。
占星術師さんにはいろいろお話し、アドバイスをいただき、いままでにないようなクリアー感を経験することができました。
どうもありがとうございます。m(_ _)m

・・・・でも、そーいえばお名前伺うのを忘れた。どちらさまなのだろう?(オイオイ)




p.s.
お名前はhippy"m"若夏(わか)さん。今度店でも、この方の占星術をするのだそうだ。また私のブログとは違う内容をUPしたので、見て下さいませ〜。(こんな内容、表のHPには載せれませんってば)