トルコ石
今日は店を早退して、東京・御徒町で勉強会をしてきました。
内容は『トルコ石』について。場所はとある鑑別事務所で開催されました。(お疲れ様です、ありがとうございました。)
内容は、トルコ石の形成の仕方、データ、処理の種類と方法、トルコ石の模造品などのお話で、とても有意義なものでした。
その中でちょっと気になったのが、トルコ石の歴史&よもやま話の部分。
トルコ石は、古代エジプトの古王国時代から、ラピスラズリ、マラカイト、アマゾナイト、カーネリアンと共に珍重されていた石なのだそうです。
イランやシナイ半島から採掘して使われていたのですが、新王国時代になってからは採掘はされていても、あの美しく絢爛なエジプト美術・宝飾品にほとんど使われなくなったということです。
また、メソポタミアのシュメールの人々は、すぐ近くにトルコ石の鉱山があったにも関わらず、トルコ石を使うことが無かったそうです。
(注:この資料の内容の信憑性は現時点で不明です。
引用した参考文献が不明ですし、シュメールとあってもその後の、バビロニア、ヒクソス、ヒッタイト、アッシリア等を含む、メソポタミアに興亡した民族・国家を含んでいるのかもしれません。歴史学者さんではないので、話の小ネタとして「ふーん」と思ってください。)
なにはともあれ。
エジプト好きのワタクシとしては、「古王国時代では使われていたトルコ石が、新王国時代でほとんど使われていない」というのにまず注目。
新王国時代というと、第18王朝のヒクソス掃討やヌビア遠征をして、エジプトの領土を拡大したトトメス1世とか、巨大な葬祭殿を作ったハトシェプシト女王とか、アマルナ芸術や宗教改革をしたアメンホテプ4世(アクエンアテン)とか、有名なツタンカーメンとかがいて、第19王朝になるとエジプト最大のファラオともいうべき、ラムセス2世が君臨していたりと、盛りだくさんな時代。
いまでもエジプト旅行で見ることのできる遺跡観光の多くは、新王国時代に修復されていたり、建造されていたりしているものが多いから、馴染みも深いかも。
そんな絢爛豪華な時代にトルコ石が使われなくなった理由ってなんだろう?
トルコ石はその美しい空青色から、「天空」を表す石とされていたようなのだけれど、ひょっとしたら新王国時代の人々は天に関する関心が薄くなったのかも知れない。
関心が薄いというと語弊があるけれど、古王国時代から新王国時代まで、長い長
い時間があって、天文学も極めていて。
エジプトの人々にとって、太陽が照って雨が降ってナイルが氾濫して、大地が潤えば良いことであって、穀物が豊作になることの方が重要になっていったのかも。
太陽神アメンや天空神ホルスはファラオの神であって、庶民の神様じゃあないし。
そのファラオも、天高いピラミッドではなく、西の大地に王家の谷を作るようになって。大地母神イシスや、穀物のオシリス神の方が重要になっていったために、トルコ石の使用頻度も減っていったのかなー、なんて勝手に思っていました。
・・・本当のところは知らないけれど(笑)。
そんな風に、いろいろなトルコ石を見て、トルコ石の話を聞いて。
ちょっと、トルコ石MYブームがきそうな(←今更!?)、予感です(単純。笑)。
p.s.ところで、そんなトルコ石の勉強会のちょっと前に、Pedoro氏が店に来て、新作のカーヴィングを見せてくれました。そのなかにはトルコ石のホルス。綺麗です〜。